『謙信公の御遺骸がある墓所です』

左側

中央

右側
上杉家墓所は、米沢市では御廟、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、敬い親しまれています。杉木立の中に謙信公から十二代藩主までの廟屋が整然と立ち並んでいます。
藩政時代の上杉家廟所
二代景勝公廟を中心に左右交互の廟
二代景勝公が逝去された約390年前に歴代藩主の墓所と定まりました。その後、景勝公を中心に左右交互に廟が建てられました。廟の前方には拝殿が造営されておりました。また、各廟の参道も今より前方に延びており、その周囲には、千基を超える石灯篭が寄進されて並んでいたと言われています。なお、謙信公の御遺骸は越後春日山から会津を経て米沢へ遷され、米沢城本丸に祀られていました。

藩政時代の上杉家廟所配置
現在の上杉家廟所
明治からの激動の時代を経て静かにたたずむ
明治9年(1876)謙信公の御遺骸は当地に遷座されました。これに伴い、拝殿や石灯篭は撤去され、参道も新たに作り替えられるなど現在の景観になりました。杉木立の中に整然と立ち並ぶ歴代藩主の廟屋は、上杉家と米沢の歴史を物語っています。昭和59年(1984)全国の大名家墓所としては5番目に、国指定史跡として登録されています。

現在の上杉家廟所配置